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日本の菓子の歴史

日本の菓子の歴史現在、数え切れないほどのスイーツが世の中にありますが、日本でお菓子が食べられるようになったのはいつからなのでしょうか。

今でこそ世界に肩を並べて洋菓子も盛んに作られるようになっていますが、このお菓子の起源はいつだったのでしょうか。

 

樹木果物や木の実、穀物を加工したものを、古代ではくわしと呼んでいました。字は『菓子』と書きます。

現在のお菓子と同じ字です。果物のことを水菓子と呼ぶのは個々からきています。 遣隋使や遣唐使によって、唐からお菓子と共に、その製法が伝わってきます。

焼き栗、干し柿、大豆餅、小豆餅などが食べられるようになります。

お菓子の神様の話

時の天皇、垂仁天皇は、新羅から日本に渡ってきたアメノヒボコの曾孫にあたる、田道間守に対し、常世の国(中国南部からインド方面の地域)の不老不死の理想郷をさがし、非時香具菓(ときじくのこのみ:橘のこと)を持ち帰るように命令しました。

苦難の末、ようやく葉付きと果実付きの枝を持ち帰りましたが、10年の年月が経過していて、すでに垂仁天皇は崩御していました。

田道間守は深く嘆き悲しみ、持ち帰った橘の果実半分を垂仁天皇の皇后に献上した跡、垂仁天皇の御陵に赴いて帰国が遅くなってしまったことを詫び、約束を果たして帰ってきたことを報告しました。

そして橘の残りの半分を御陵に捧げ、そのままその場にとどまって絶食し、殉死したと言われています。

後に『橘は菓子の長。人の好むところ』と聖武天皇が発言し、古代には果物も菓子の意味を持つことから、田道間守はお菓子の神様、和菓子のルーツ『菓祖神』として、兵庫県豊岡市の中嶋神社に祀られ、分霊として太宰府天満宮や吉田神社にも祀られ、現在でも貸し業者の信仰を集めています。

平安時代・室町時代

唐から揚げ貸しや団子などが伝わります。黒砂糖も日本にもたらされました。それまでは穀物を簡単に加工したものでしたが、味や形も優れた独自の菓子が作られていくようになります。甘露やハチミツ、牛乳も注目され始めます。

お茶の栽培が盛んになるにつれ、お茶うけのお菓子として、砂糖を使ったものが作られるようになり、羹(あつ)ものやまんじゅうが登場します。

安土桃山時代・江戸時代

それまで唐の影響を強く受けていた日本のお菓子でしたが、スペイン人やポルトガル人によって、砂糖に卵を使ったカステラやカルメラビスケット、ボーロ、金平糖などのお菓子が日本に持ち込まれ、南蛮菓子と呼ばれて日本のお菓子に革命が起きました。

桜江戸時代には鎖国政策があったため、京都で独自の京菓子が発達しました。江戸では白砂糖を使った上菓子が誕生し、江戸末期には黒砂糖で作られた駄菓子も登場します。

和菓子の蒸し菓子、干菓子、練り菓子が登場したのも江戸時代になります。

現代

近年になると、お菓子も加速度をあげて発展していきます。お菓子と呼ぶものからスイーツと呼ぶのにふさわしい物が作られるまで、さほどかかりませんでした。

明治時代

明治時代には文明開化が起こり、外国文化が波のように押し寄せてきました。バターミルクをふんだんに使った西洋菓子の登場を皮切りに、外国で西洋菓子の製造方法を学ぶ職人が増え、専門工場が数多く誕生します。

チョコレート、マシュマロ、キャラメル、キャンデーなどが作られるようになりました。

戦後

戦争の時代に入ると、原料の確保などが難しくなり、お菓子界は暗黒時代に突入しますが、戦後はアメリカ兵によってチョコレートやチューインガムが配られ、菓子原料の統制が撤廃されると、お菓子業界も再び勢いをふるいだします。キャラメルがブームになり、次にチューインガムのブームがやってきます。高度成長期にはチョコレートがお菓子の原料に使われるようになります。

そして今

甘いお菓子はスイーツと呼ばれるようになり、フランスで修行をしたパティシエと呼ばれる菓子職人が活躍するようになりました。見た目の華やかさや繊細さだけではなく、心と身体の健康も考えられるようになり、栄養価や心が満たされることが考えられ、食べるというよりも、心身共に、スイーツを楽しむものになりました。